社会の主な出来事 | ちひろのあゆみ | ||
11月 第一次世界大戦終結 | 1918年 | 0歳 | 12月 福井県武生市(現・越前市)に生まれる。 東京都渋谷区道玄坂に移る。 |
1925年 | 6歳 | 渋谷町立長谷戸小学校に入学。 | |
9月満州事変 | 1931年 | 12歳 | 東京府立第六高等女学校(現・都立三田高校)に入学。 |
1933年 | 14歳 | 洋画家の大家・岡田三郎助に師事し、油絵の勉強を始める。 | |
2月二・二六事件 | 1936年 | 17歳 | 東京府立第六高等女学校卒業。朱葉会女子洋画展に入選。 |
7月日中戦争始まる | 1937年 | 18歳 | 小田周洋について藤原行成流の書を習い始める。 |
1942年 | 23歳 | 中谷泰に師事、再び油絵を描き始める。 | |
8月第二次世界大戦終結 | 1945年 | 26歳 | 東京大空襲により家が全焼。 |
長野県松本市に疎開し、終戦を迎える。 | |||
1946年 | 27歳 | 画家を目指し上京。女流画家・丸木俊(赤松俊子)に師事。 | |
1949年 | 30歳 | 紙芝居『お母さんの話』を出版、翌年文部大臣賞受賞。 | |
6月朝鮮戦争が始まる | 1950年 | 31歳 | 松本善明と結婚、翌年長男猛を出産。 |
1953年 | 33歳 | 下石神井(東京・練馬区)に自宅兼アトリエを建てる。 | |
1956年 | 37歳 | 絵雑誌等に発表した作品を対象に、小学館児童文化賞受賞。 | |
1月日米新安保条約調印 | 1960年 | 41歳 | 『あいうえおのほん』(童心社)を描き、 翌年サンケイ児童出版文化賞受賞。 |
10月東京オリンピック開催 | 1964年 | 45歳 | 日本児童出版美術家連盟を発足し、著作権擁護に取組む。 |
2月アメリカの北ベトナム攻撃開始 | 1965年 | 46歳 | |
1968年 | 49歳 | 絵で展開する絵本作りの最初の作品、 『あめのひのおるすばん』(至光社)を描く。 |
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1971年 | 53歳 | 『ことりのくるひ』(至光社)で ボロー ニャ国際児童図書展グラフィック賞等受賞。 |
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1972年 | 54歳 | 反ベトナム戦争を願い、絵本『戦火のなかの子どもたち』 (岩崎書店)を描き始める。 |
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1973年 | 55歳 | 『戦火のなかの子どもたち』を出版。秋、癌のため入院。 | |
1974年 | 3月病状が悪化し再入院。8月原発性肝臓ガンのため死去。享年55歳。 | ||
ベトナム戦争終結 | 1975年 | 未完のまま遺作となった『赤い蝋燭と人魚』(童心社)を刊行。 | |
詳しい経歴はこちら→ http://www.chihiro.jp/chihiro/about/history.html |